ジークンドー創始者であり、映画というメディアで世界中にその魅力をアピールしたアジア人パイオニアのブルース・リー。 意外にも日本では当時の香港映画界の安っぽさという偏見も重なり、彼の存在を知り得たのは世界中でも最も遅いものでした。しかし、1974年のお正月映画として米国ハリウッド作品「燃えよドラゴン」が社会現象にもなる大ヒットで、ブルース・リーのみにとどまらず、香港そのものに日本が注目するきっかけを与えた熱きムーブメントが沸き起こりました。
あれから50年。今日でも日本のブルース・リーファンは世界で最も熱いといわれています。
ここでは日本人のファンの視点でみたブルース・リーのタイムラインを生誕から現在まで再確認したファンサイトでございます。
誕生から死亡した1973年まではブルース・リーそのものの歴史ですが、1974年以降は日本のブルース・リーファンの歴史を現した内容となっています。
70年代の大ブームから80年代の氷河期の頃、そして90年代の突然のブーム再燃、インターネット世界が始まり、よりコアなファン同士でコミニュケーションが新たなムーブメントを起している現在までを知り得るかぎりまとめてみました。
「ブルース・リーの歴史」という教科書のような存在、そんな情報がいっぱい詰まったタイムラインが欲しいというのが制作のきっかけでした
以後、皆様のお手元の研究材料になれば幸いでございます。
内藤 茶々丸