Timeline 70s-2


1973

民國62年、昭和48年 ブルース・リー死亡

14または8 香港ゴールデン・ハーベスト社にて『燃えよドラゴン』撮影始まる。ブルース・リーの役名は李振強。

脚本内容などが原因で1月中旬までブルース・リーは撮影に現れなかった。

 

 

14日 新明日報  李小龍が邵氏公司のために『年羹堯将軍』を撮影することはほぼ決定事項、彼が同業記者王芬に明かしたところによれば、邵氏で映画を撮る可能性は80%だという。

 

●撮影に使われたハンの島は香港島スタンレー東の大潭(タイタム)湾タイタムロードにあり、ブルースの遠い親戚にあたる香港の弁護士N・W・ローの土地とテニスコート等を借りた(現在、船着場は残っているもテニスコートにはマンションが建てられている)。

 

●ブレイスウェイトとの会話シーンに出てくるハンの島の全景は実際にはあのような形では存在せず精巧な合成と思われる(チップラックコック島=現在の香港国際空港とも推測できる)。

オープニングに映る美しい寺院及びブレイス・ウェイトとお茶を飲むシーンには屯門(チュンムン)にある道教寺院、青松仙観(ティンツォンクン)外観のみ、老師との会話シーン、ラオとのワークアウトシーンに使われた場所は南北朝時代に創建された古い禅院、青山禅院(チンサンシムユン)。

 

●オープニングの少林寺に関わるシーンには中国国境付近の新界は上水の河上郷村で撮影。

 

●ブルースやジョン・サクソン氏等がサンパンに乗っているシーンとその周りの風景はロバートクローズ氏の書籍では香港仔(アバディーン)とあるが、その風景より鯉魚門(レイユイムン)とも推測できる。

 

●ハンの家の外観シーンに使われた建物は「金香園」

香港でも有名な裕華国産百貨有限公司オーナーの豪邸で映画では家の裏からズームで撮影されている。

 

●ブルースが母親と妹スー・リンのお墓を訪れるシーンに使われた墓地は灣仔・皇后大道から司徒抜道に入ったところにある 【回教墳墓】と【天主墳墓】.このシーンでブルースの着ているスーツは愛用のMENS BIGI

 

 

110日 新明日報 映画『猛龍過江』の昼夜の上映、初日も加わり、すでに興行収入が100万ドルを超えた。過去の記録を振り返っても、これほどの勢いで売り上げを伸ばした作品はなかった。

 

1月23日 ブルース・リーが台湾で公開中の「麒麟掌」を台湾とフィリピンで訴訟を起すとの報道。

1月23日 ブルース・リーと脚本担当のマイケル・オーリンが対立との報道。

 

125日 新明日報 ブルース・リーがワーナー・ブラザースと共同制作した映画『龍爭虎鬥』(Enter the Dragon)は、まだ華人キャストが全員揃っていないため、撮影が開始されていません。

昨日、ブルース・リーはヤン・スエと契約を結び、この映画に出演させることに成功しましたが、

 

他にも香港のアクションスターが出演予定とのことです。ブルース・リーはヤン・スエに頭を剃るよう求めましたが、これにヤン・スエは断固として拒否しました。

 

21日 AIA保険会社で20万ドルの生命保険に加入。『燃えよドラゴン』セットにてBBCのテレビ取材を受ける。

 

21   羅維監督作「冷面虎」(邦題:冷面虎 復讐のドラゴン)香港公開。ジミー・ウォング、マリア・イー、岡田可愛 共演作 ブルース・リーが主演予定だった映画。

 

2月3日 春節

 

2月、GH社新年会  Hotel Miramar 2階中華レストランPrincess Gardenにて。

 

28日 TVB「歓楽今宵」の中でウィンストン(雲絲頓)の「ドラゴンへの道」のタイアップキャンペーンの抽選会を行なう。

「ドラゴンへの道」公開を記念してのタイアップセール(協賛TWA)

ウィンストン(雲絲頓)を買うと抽選券がついており応募すると、「旅行バッグ」か「毛布一条」もしくは「ブルース・リー、ノラ・ミャオのサイン入り写真」が当たるといった特典が記述されている。

 

2月9日 ジューン・リーに手紙を投函「既に脚本が進行中です、あなたが以前に送ると約束したあなたの生徒の写真資料を待っています」

 

2月10日 ザ・香港スタンダード紙「暴力カルト」ービエラ・クワン

 

 

216日 ブルース・リーは自分名義の49,999株のうち40,000株をウーガンに名義変更しました。この時点で、協和影業公司的の株式分配は以下のようになりました。レイモンド・チョウが49,998株、ブルース・リーが9,999株、ウーガンが40,000株です。ブルース・リーの執事であるウーガンは、彼が協和公司的の株式を保有していることを認め、それが彼自身の金で買い取ったものであり、ブルース・リーから贈られたものではないと述べる。

 

217 ボブ・ウォールとの撮影中、過って右手を負傷する。

チャップリン・チャンらが車で香港島の港内病院まで運び、縫合手術を受ける。

217日 羅維監督作「馬路小英雄」香港公開。許冠傑(サミュエル・ホイ)、上官靈鳳(シャンカン・リンホー)、黃家達(カーター・ワン)共演作。

 

3月1日「麒麟掌」公開…ブルースの盗撮映像を無許可で劇中に使用したため、ブルースは激怒! 後に訴訟問題にまで発展し、小麒麟との友情にも一時的にヒビが入ってしまったとの噂。

 

3月2日 ザ・チャイナメール紙「スーパースターのブルース・リーを捕まえるのは誰だ」

 

36日 『燃えよドラゴン』撮影中 キャスト・スタッフらとともにロバート・クローズ監督の誕生日を祝う。

 

37日 工商晚報 小麒麟は「星海」社と2本の映画製作契約を結んでおり、

『麒麟掌』とは別に、もう1本の映画が予定されている。『死亡任務』には小麒麟が主演を務めるほか、もう一人の男性主人公には陳恵敏が決定している。この新作の主演女優はティンペイ丁珮である。

 

●この頃、共演者のジム・ケリーが性病で2週間の入院。

 

3月12日 最近、無線電視のロバート・チュアと昼食。狄娜のTV番組「モンタージュ」にレイモンド・チョウと共に出演したとの報道。この日の午前中は大雨で「燃えよドラゴン」撮影は中止し、午後はスタジオセットで撮影したとのこと。

 

313日母校、聖芳濟書院 (St. Francis Xavier's College)の記念式典に出席。

この頃、GH系列映画館への出資をされている経営者の「美樂蔕」という美容センターを訪問し、女性経営陣の黄廸華女史・張月華女史と写真を撮る。

 

3月 韓国で「黒夜怪客」を撮影中のノラミャオが現場に向かう車中で交通死亡事故に遭遇。助手席にいたノラ・ミャオは膝に抱いていた小さな女の子をかばうため、

フロントガラスに頭をぶつけ、額に30針を縫う怪我を負う。同乗のカメラマンが死亡。

 

315日 撮影現場で暴漢から挑戦を受けるも一瞬で片付け、翌日の新聞紙面をにぎわした。この一件以来、撮影所でブルースに逆らう者は誰もいなくなったとのこと。

 

3月16日 ザ・スター紙「ブルース、俳優をなぎ倒す」ークリスティン・チョウ

 

3月16日 ザ・チャイナメール「ブルースはとにかく凄すぎる」

 

●この頃、ショー・ブラザーズ・スタジオにて撮影中の「天網」セットを表敬訪問。

 

●この頃、共演者のジョン・サクソン夫妻とブルース・リー夫妻とで清水湾のショー・ブラザーズ・スタジオを表敬訪問。ランラン・ショウ自らアテンドをする歓迎ぶりであった。同時に古装のテスト「年羹堯」の衣装テストも受けている。


3月20日 ブルース・リーが撮影中に少年から挑発され挑戦を受諾、少年はすぐに降参したとの報道。

 

3月21日 リンダ・リーがロバート・ベイカー夫妻宛に手紙を投函。

 

3月22日 ロバート・クローズ監督がワーナー・ブラザースは現在2つの脚本をブルース・リーに提示するために取りかかっていると答えたと報道。

 

3月29日 リンダ・リーがロバート・ベイカー夫妻宛に手紙を投函。

 

3月30日 「燃えよドラゴン」青山禅院(チンサンシムユン)での撮影が開始。

3月30日 シンガポールのファンファーレ誌「ブルースがハンマーヒルロードからクリアウォーターベイに切り替える可能性」レイモンド・チョウは次のスター候補のジョセフィーン・シャオの獲得の準備を始める。

 

4月 この時期よりショーブラザーズやタイやフィリピンの製作会社より高額のオファーが舞い込む。この頃、ショウ・ブラザーズ社がブルース用のアクション映画の脚本を執筆中との情報が報道。

 

4月 中国語版用に「燃えよドラゴン」追加撮影。サモハンキンポーとの追加撮影を中国深圳市との国境近くの新界上水市の河上郷の丘で撮影。

 

●この頃から、自宅の書斎で神経伝達理論に基づいた電気器具を頭部に取付けるトレーニングを行っていた。

 

48日「ドラゴンへの道」の大ヒットを祝いパーティーを尖沙咀 樂宮楼 Lok Kuen Peking Restaurant にて催す。

 

4月10日 米国で「燃えよドラゴン」の追加撮影が開始。ジョン・サクソンがゴルフコースで2人の債権取立業者を蹴り飛ばすオープニングシーンの1つはロサンゼルスのグリフィスパークにて。このシーンの武術指導・協力はボブ・ウォールをはじめとしたケンポー・空手によるもの。 ジム・ケリーが訪ねる空手道場のシーンは同じくケンポー・空手のBKF サンダース空手の道場にて。

 

4月15日 ブルース・リーが新明日報のインタビューを受ける。「来月、米国へ赴き、燃えよドラゴンの宣伝についてワーナー・ブラザースとの協議、20世紀フォックス・MGM社との協議する」

現在も燃えよDragonの撮影中であと数日の予定とのこと。

 

418日ジェームス・コバーンが「サイレントフルート」再開の企画を持ってFOXの重役を伴い香港へやって来る。ブルースは啓徳空港まで出迎えた。既に多数の製作会社とのオファーが検討されている時期でもあるため、この交渉は物別れになる。

 

420日 羅維監督作「海員七號」(邦題:シーマンズNo.7・波止場のドラゴン)香港公開。ジミー・ウォング、マリア・イー共演作。

 

421日香港(銅鑼灣)の劇場「Lee Theatre / 利舞臺」にて夫人と「セルジオ・メンデスとブラジル'77 / Sergio Mendes & Brazil'77」の香港公演を観る。ジェームズ・コバーン氏も同席

 

4月27日 この日より数日にわたり深夜 「燃えよドラゴン」の博物館のセット内で「死亡遊戯」のテスト映像を撮影。5月5日まで。

 

427日 新明日報  ハリウッドのスター、ジェームズ・コバーンはフォックス社のために仲介者として数日前に香港に到着し、ペニンシュラホテルの335VIP室に宿泊していた。ブルース・リーをFOX社の映画に出演させるために訪れた。ブルース・リーは真摯な申し出には非常に協力したいと考えていると述べた。しかし、現在撮影中の「燃えよドラゴン」がまだ完成していないことや、ショウ・ブラザーズの映画にも出演する必要があるため、今すぐFOX社との契約に応じるのは難しいという。ジェームズ・コバーンは今日午後、香港を発ち、日本経由でアメリカに帰国する予定

 

430 Lloyds of London保険会社で135万ドルの生命保険に加入。

 

●この頃、跆拳震九州」に出演中の風間健と出会う(チムチャーツイのホワイトハウスという喫茶店で)風間氏談

 

5月7日 新明日報「ワーナーブラザーズがブルース・リーとエルビス・プレスリーの共演作を思案中、ブルース・リーが5月末に渡米」と報道。

 

510日 ゴールデン・ハーベストのスタジオで「燃えよドラゴン」の中国語版の録音中にトイレ付近で倒れる。

主治医のチャールズ・ラングフォード医師により九龍の香港浸信會醫院 Hong Kong Baptist Hospital に入院。設備が整った聖德肋撒醫院 St. Teresa's Hospital へ移送。マリファナの関与が噂され始める。

 

510日 羅維監督作「鐵娃」香港公開鄭佩佩(チェン・ペイペイ)、田俊(ジェームス・ティエン)、宍戸錠、韓英傑(ハン・インチェ)、田蜜、染野行雄 共演作。

 

513  退院

(噂)この頃、リンダ夫人の証言ではマリファナを1日3回も吸っているとブルースに告白されたとのこと。

 

5月23日 ブルース・リーが今週中に米国へ渡米との報道。

 

525日 ワーナー・ブラザーズとの打合せと精密検査を受けるため夫人と渡米。  ビバリーヒルズホテルへ滞在。アメリカでCTスキャン等の精密検査をデビッド・レースボード医師より受けるが、診断結果はどこにも異常なし…

 

5月29日 Gucciで472.5ドルの買い物をする。レシートの裏面に滞在ホテルのBeverly Hills Hotelと記載。


●「燃えよドラゴン」のラフカットを観て大変満足したとのこと。


●L.A.在住のロバート・リーの自宅を訪れる。

 

●SFO 在住のだった姉のフィービーに電話をする「今回は会えないが7月に会おう」と。

 

●この頃、母グレースの証言ではカルロ・ポンティからの申し出を真剣に検討してイタリア行きをも検討していたとのこと。

早朝7時の飛行機で香港に戻る際、母グレースに7月には戻るという会話をしたとのこと。

 

帰路、東京の羽田国際空港にて友人のターキー木村宛に手紙を投函。

(手紙の文面はブルース・リー直筆であるが、封筒の住所の筆跡はリンダ夫人によるもの)

(噂) 帰路途中、日本に立ち寄り新宿で日本刀の購入を検討したとのこと。

しかし80年のJenaファンクラブ会報にて西本正氏自らブルース・リー来店を否定する寄稿を掲載。

 

6月3日 Jun Fang Martial Arts / Kali-Eskrima-Silat Academy にChristoper Kent氏が入門。

この頃の道場はイノサント師父の自宅のバックヤードでおこなわれていました。

4040 Del Rey Ave.,Marina Del Rey,CA 90291

 

6月 この頃、泛亞公司のアメリカ人経営者のアンドリュー・G・バジナと頻繁に接触し、2本の映画を共同制作する契約を結ぶ。また、多ブルース・リーはジェームズ・コバーンをキャスティングし、いくつかのプロットを口述し、速記された協力の形式は、保証付きの利益分配方式で、ブルース・リーの報酬が一定の金額を下回らないように保証され、もし損失が出た場合、泛亞公司がその金額を補填し、もし大きな利益が出た場合は利益を分配するという契約でした。共同制作予定だった2本の映画のうちの1本は「一竹定金山」というもので、ブルース・リーが「勇武士」というタイトルで提案した映画です。

 

しかし、彼が竹を武器として使うと話したとき、汪曉嵩(ウォン・シウサン)は「一竹定金山」というタイトルを提案し、ブルース・リーはこれをすぐに受け入れました。ブルース・リーはジェームズ・コバーンと二度電話で話し合い、ジェームズ・コバーンはその映画に興味を示しましたが、すぐには受け入れず、脚本が完成した後に決定することにしました。もう1本の映画は「死亡之舞」で、最初は「死亡的旋律」というタイトルでした。これは、格闘が旋律を持っているという意味合いの格闘映画です。しかし、後に「旋律」という言葉が適切でないと感じ、「死亡之舞」に変更されました。ブルース・リーが泛亞公司と協力したのは、栖鶴小築の前の所有者が泛亞公司の社長であるバジナだったことが理由の一つです。

 

6月11日 東映が「東京ーソウルーバンコック・追跡3万キロ」の製作発表を銀座のクラブ東友で17時に行った。既に韓国のロケは済ませ、22日からバッコックのロケを行うとの報道。

 

6月12日 スポーツ・ニッポン紙が「風間健が香港で2本の出演作を撮影中」との報道。

ブルース・リーの活躍ぶりも紹介した記事を掲載。

6月10日 ブルース・リー夫妻が米国から帰国。

6月11日 ブルース・リーは「死亡遊戯」の撮影を再開するとの報道。またショー・ブラザーズ社との新作の話は進展していないとの追加報道。

 

6月下旬頃 「東京ーソウルーバンコック・ 追跡3万キロ」打ち合わせのため、東映宣伝部の福永邦昭らスタッフがGHスタジオ訪問し、「跆拳震九州」のセット内のブルース・リーのスナップ写真を撮影。

 

7月4日 ブルース・リーはショー・ブラザースとの契約で難航しているとの報道。

7月4日 アメリカのPalm Beach Post紙「ブルース・リーが8月にハリウッドに燃えよドラゴンのプロモーションのために戻ってくる」

 

75 ハーベストの試写室でロー・ウェイとの口論の上、警察沙汰となってしまう。

75 ブルース・リー、香港のTV「歓楽今宵」に最期の出演。昼間のロー・ウェイとのトラブルを司会のアイヴァン・ホー(何守信)を相手に毒舌のインタビューとなる。

 

7月6日 ブルース・リーとキン・フー監督の共同制作の作品の為、イタリアのローマでカルロ・ポンティとの交渉が始まる。ブルース側としてジョーイ・チェン氏が交渉に参加した。

 

7月10日 ジミー・ウォングがタイから香港へ戻るとすぐに、訴訟のため台湾に戻ったとの報道。

 

716 ブルース・リー、マニラに行っていた親友・小麒麟に電話をかける。

 

7月中旬 海洋中心の翠園酒家にてジョージ・レイゼンビー、レイモンド・チョウ、ヤン・スエらと「死亡的遊戯」再開のための会議・会食を行う。

 

7月19日 日本料理店「金田中」にてチャールス・ロック(陸正)と夕食。

 

720  死亡。享年32歳。

午前、自宅で米国の弁護士宛に手紙を書く。

午後、ゴールデン・ハーベストスタジオにてチャールス・ロックが姿を確認。

午後7時半、レイモンド・チョウはひとりベティ。ティンペイのマンションを出て、日本料理屋“金田中”でジョージ・レーゼンビー(「女王陛下の007」のジェームズボンド)と食事をしていたが、合流するはずのブルース・リーがいつになってもこない。

840分ごろティンペイに電話をかけたら“ブルースは熟睡しています”との返事。9時にも同じ返事。おかしいと思ったティンペイが揺り動かしたが、ブルース・リーは起きない。

レイモンド・チョウの指示で医者を呼び、医者はすぐに救急車を呼んだ。夜1040分ごろ、香港九龍消防署の救急車A43号が、九龍筆架山道 (Beacon Hill Rd.)67番地のマンション(碧華閣 Beverley Heights) A3号にかけつけ、3階から意識不明の男性1人を担ぎ出し、

クイーンエリザベス病院へ運び診察の後、直ちに8C室に移され、当直の医師が酸素吸入による緊急措置をとったが術なく、約30分後に息を引き取った。午後1130分、死亡が確認された。享年32歳。

後日、メディアから心臓麻痺やマリファナが原因と憶測が語られ始める。

 

723 ブルース・リーの死を悼み、香港のTV「歓楽今宵」にて追悼番組。

 

7月24日 スポーツニッポン誌「米映画と百万ドル契約を結んだやさき香港スター ブルース・リーが急死」

7月24日 日刊スポーツ誌「香港スターのリー急死」23日に東映に入った連絡によると香港スター、ブルース・リー(30)が19日にゴールデンハーベストの社長と懇談中に心臓発作を起こして死亡した。

 

725 午前10時、香港九龍殯儀館にてブルース・リーの葬儀。親族では兄のピーターが参列、15000人のファンが駆けつける盛大な葬儀が行われた。

 

726日 啓徳空港からノースウエスト航空004便ボーイング747ジャンボ機で東京経由シアトル・タコマ国際空港(シータック空港)

母のグレース、弟のロバート、姉のアグネスとフィービーが空港で出迎え。

アンドレ・モーガンがバターワース葬儀社とレークビュー墓地の墓地区画について打ち合わせをする。

 

730 シアトルのバターワース葬儀場Butterworth Funeral Homeで親しい人だけ集めて葬儀。スティーブ・マックィーン、ジェームス・コバーンがブルースの棺を担いだ。その後、レイクビュー墓地に埋葬される。墓石にはジークンドー・ファウンダーと記載されています。

 

730 日 星洲日報 (香港27日発)ブルース・リーの遺体は昨日朝、アメリカに運ばれ埋葬された。ゴールデン・ハーベストの人気女優、ノラ・ミャオが記者会見を行い、これまで誰も知らなかったブルース・リーの秘密を数々明かした。「妻は幸せではないし、僕は孤独を感じる。なぜなら、この世界には誠実な友人がますます少ないと思うからだ。」「私が彼を笑って『李小龍! あなたの体は薬まみれじゃない!』と言うと、彼は詳しく説明することを厭わない。これはビタミンBの中で最新の発明だとか、これは新しいビタミンだとか言いながら、それを口に入れて飲み込んで、満足げな様子でした。」

 

730日 新明日報 ウーフォンが、ブルース・リーの妻であるリンダを見舞い。現在住んでいる「栖鶴小築」に引っ越して以来、不安を感じ始めていたと明かしました。それは風水に関連しているのかもしれない、とも。

 

7月31日 読売新聞「英雄スターの死に涙 葬儀にファン2万人 武侠映画で日本人もKO 」

 

●当時、東京の大手町の法律事務所に勤務していたダグ・パーマー氏は米軍ラジオの情報からブルースの死を知ったとのこと。

 

●漢方治療の名家「推血過宮」の呉江、腹上死説を唱える。

 

81  千葉真一主演の東映映画「東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯」出演挨拶のためノラ・ミャオが来日。

この頃、日本のメディアでグラビア撮影などの取材を受けるが、この当時は無名のブルース・リーの死についてはほとんど話題にならず。

 

88日 星洲日報 ブルース・リーはゴールデン・ハーベスト撮影所内に、約550平方フィート(約14畳)の広さを持つ個人のオフィスを設けていました。オフィスには巨大なデスクがあり、その背後には参考書が並んだ本棚が備え付けられていました。彼が主演し、唯一完全な形で制作されながらまだ公開されていない映画『燃えよドラゴン』についても、公開日が未定であるにもかかわらず、業界内ではその公開日に興行収入がどれだけの数字を記録するかで賭けが始まっていました。賭けの初期段階では、この映画がブルース・リーが残した300万、400万、500万香港ドルの記録を確実に破り、さらに800万香港ドルという興行収入の記録を打ち立てるだろうと予測されていました。

 

88日 新明日報 アメリカでブルース・リーの棺が破損したという噂があり、レイモンド・チョウによって確認されました。彼は、ブルース・リーの未亡人であるリンダ夫人が長距離電話で棺の損傷について伝えたことを明らかにしました。昨日、業界内で広まった噂によると、ブルース・リーの遺居「栖鶴小築」は、ある外国の映画商と映画契約を結んで交換したものだと言われています。噂では、「栖鶴小築」はもともと外国の映画商の所有物であり、この会社はブルース・リーに映画出演を強く依頼しました。その条件は驚くべきもので、「栖鶴小築」はその一部として、ブルース・リーが映画に出演するための「手付金」として譲渡されたと言われています。ブルース・リーが「栖鶴小築」に入居した時、彼はその映画契約書に署名したと伝えられています。もちろん、「栖鶴小築」は報酬の一部に過ぎません。

 

8月9日 発行「香港電視」3ページ掲載記事「從「人海孤鴻」談到少年軼事 吳楚帆細說李小龍」

 

 

815日 星洲日報 協和公司(Concord Production Inc.)の株式が譲渡され、自宅はある会社が所有することになる。ブルース・リーがレイモンド・チョウと共同で設立した協和影片公司の株式のうち、彼自身が持っていた半分の株式の80%は、彼が死去する5か月前に彼の執事に名義が変更されました。また、彼が住んでいた栖鶴小築も、すでにブルース・リー名義の不動産ではなくなっていました。

 

817日 Los Angeles Memorial sports arenaにて「Oriental Fighting Arts Expo」が開催。リンダ・リーがステージに登壇。

 

819日ハリウッド グローマン・チャイニーズ劇場”TCL Chinese Theater”を皮切りに『燃えよドラゴン』公開。

 

823 『燃えよドラゴン』全米公開。


8月下旬 「キネマ旬報」8月下旬号に掲載「浮かぶ要塞島」

 

 

831日 新明日報 ピーター・チンはショウ・ブラザーズやゴールデン・ハーベストによって争奪されていましたが、現在、新たに設立された泛亞(パンアジア)もこの争いに参戦し、ピーター・チンを引き入れ、ブルース・リーの遺志を継いで「死亡之舞」の主演を務めさせようとしています。

 

9月 雑誌「映画情報10月号」ブルース・リーのシアトルでの葬儀の記事。「東京=ソウル=バンコック実録麻薬地帯」のカラーグラビア記事掲載。

 

93  死亡原因について審問が開かれ、エグバート・タン訴訟補佐官のもと、英国政府法医学研究室による司法解剖が妥当であるとされる。

 

9月3日 鄭昌和監督作「黒夜怪客」(邦題:デビルス・トレジャー)The Devil's Treasure /  The Stranger at Midnight / Heug-yagoegae 嘉禾有限公司/宇進電影公司 
柯俊雄と苗可秀(ノラ・ミャオ)共演作。香港公開。撮影地: 香港・韓国で監督は鄭昌和、武術指導 洪金寶 陳全。

 

 

94日 新明日報 ブルース・リーの生前の親友であるピーター・チンが、最近東京から航空機で香港に到着。泛亞公司(パン・アジア)は、ブルース・リーが生前に考え出した二つのストーリー「一竹定金山」と「死亡之舞」に出演するよう彼に依頼する意向です。パン・アジアのボス、バジナ氏と関係者が、早朝から空港に迎えに来ており、ピーター・チンに契約書にサインさせる準備。

 

9月12日 黃楓監督作「跆拳震九州」(邦題:テコンドーが炸裂する時)茅瑛(アンジェラ・マオ)、李俊九(ジューン・リー)、黃家達(カーター・ワン)、洪金寶(サモハン・キンポー)、黃仁植(ファン・インシク)、風間健 香港公開。

 

912日 新明日報 ピーター・チン、驚くべき事実を明かす ブルース・リーは生前に重傷を負い、ほぼ障害者状態だった

 

9月15日「東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯」日本公開。

 

 

918日 新明日報 先週、ピーター・チンは記者会見でブルース・リーの内幕を暴露しました。彼によると、ブルース・リーはアメリカにいた際に陰謀に巻き込まれ、腰に障害を負ったとのことです。ブルース・リーの未亡人であるリンダは、ピーター・チンに対して、香港での映画制作をやめ、急いでアメリカ・ラスベガスに戻るよう勧めた

 

921日 ブルース・リー死亡記事掲載の『ロードショー』誌197311月号発売

 

924 香港法廷で“BLの死因は事故死”と発表される。

 

10月 アメリカでマーシャル・アーツの映画専門誌「Fighting Stars」が創刊された。表紙は「燃えよドラゴン」

 

104 ドキュメンタリー映画『李小龍的生與死』(日本題名『ブルース・リーの生と死』)香港公開(〜10/10)同年度興行収入第119

 

109日『燃えよドラゴン』ワーナー日本支社試写室にて試写される。

 

10月11日 茅瑛(アンジェラ・マオ)、田俊(ジェームス・ティエン)共演作「五雷轟頂」(邦題:必殺!サンダーボルト)香港公開。

 

1018日「龍争虎鬪」香港公開。

 

 

1018日 新明日報 リンダは今日、シアトルに向けて飛び立つ、そして160万香港ドルで「栖鶴小築」を売りに出す。(香港14日発)リンダ女史は今朝9時に香港を離れ、辛い思い出の地と別れを告げた。リンダが今朝シアトルに向けて飛び立つ際、ブルース・リーの管理人であるウーガンはまだ香港に残っており、「栖鶴小築」の売却が完了した後に香港を離れる予定である。リンダは一昨日と昨日にかけて、「栖鶴小築」内の家具や雑貨類、ソファーやシャンデリア、そしてブルース・リーが使用していたもの、さらには彼のメルセデス・ベンツなどを4つの大きなコンテナに詰め、貨物船でシアトルに運び返した。出発前の昨日の朝、リンダは警察署に向かい、警察に押収されていた2丁の拳銃を取り戻した。しかし、警察からは忠告を受け、これらの拳銃はまず空港の税関に引き渡され、税関で受領書が発行されることになった。その後、リンダはこの受領書を持って空港で拳銃を受け取った。リンダはこれを李小龍の生前の記念品と考え、大切にしていた。

 

10月25日 Jun Fang Martial Arts / Kali-Eskrima-Silat Academy にTimothy Tackett氏が入門。

 

10月26日 日本の新聞が東映の「東京=ソウル=バンコック 実録麻薬地帯」を先日完成させ、このほどタイ国向けの編集版をタイの関係者に渡したが政情不安による対日感情の悪化で上映が見合わされているとの報道。


10月30日 「キンシャサの奇跡」ザイールのキンシャサでモハメド・アリがジョージ・フォアマンを「ロープ・ア・ドープ」戦法で8ラウンドKO 勝ち。戦前の予想を覆し世界中に衝撃を与えた。

 

11月 「別冊少年チャンピオン」12月号に田辺節男氏の漫画「燃えよドラゴン」を掲載。


11月3日 「燃えよドラゴン」の試写会が有楽町そごうホールにて開催。

 

11月6日 「燃えよドラゴン」の試写会が千代田区平河町都市センターホールにて開催。

 

11月15日 「燃えよドラゴン」の試写会が中野サンプラザにて開催。

 

11月26日 「燃えよドラゴン」の試写会が有楽町の朝日新聞社の朝日講堂にて開催。

11月26日 読売新聞夕刊紙「大当たりオリエンタル・アクション 日本でも正月初公開」

 

 

1127日 新明日報 マギー・リー李琳琳とスティーブン・リウ劉家昌の関係はすでに終わりを告げ、彼女の新しい恋人はピーター・チンである。昨日の午後、ピーター・チンとマギー・リーは二人そろって凱悦(ハイアット)ホテルでアフタヌーンティーを楽しみ、二人は恋に落ちたことを認めた。マギー・リーは豪快にピーター・チンを愛し、111日に出会ったとのこと。ピーター・チンは先日、泛亞公司と「死亡之舞」という映画の契約を結んだ。しかし、環境の問題で、その映画はまだ撮影を開始できていない。待ち続けたピーター・チンはついに泛亞公司のオーナーであるバジナと再交渉し、一昨日、新しい映画の契約を結んだ。昨日、ピーター・チンが泛亞公司と結んだ新しい映画の契約は、中国功夫映画で、ピーター・チンが主演を務める。この映画は泛亞公司とアメリカの会社が共同制作するもので、現在、その脚本が急ピッチで執筆されている。

 

11月29日 「燃えよドラゴン」の試写会が愛知県勤労会館にて開催。

 

12月 TOP COMIC 1月号に劇画「燃えよドラゴン」掲載。画:いしずかすすむ氏

 

12月 週刊「プレイボーイ」12月18日号 特選正月映画ワイド特集「燃えよドラゴン」

 

12月18日 「燃えよドラゴン」の試写会が愛知県文化会館にて開催。

 

12月21日 スポーツニッポン誌「壮絶必殺拳の乱舞 東洋のヒーロー ブルース・リー主演うなる少林寺拳法」

 

1222  映画『燃えよドラゴン』ワーナー映画により日本初公開。

 

● そして 日本国内で「燃えよドラゴン」が徐々に話題にななり始める。

 

 

1228日 星洲日報 ピーター・チンは「ブルース・リーの弟子」という名義で香港で名を馳せており、まだ一本も映画を撮影していないにもかかわらず、すでに多くのニュースが報じられています。最近、泛亞公司はピーター・チンと契約を結びましたが、新作の撮影がいつ開始されるのか、ピーター・チンは首を振り、分からないと答えました。

 


1974

民國63年、昭和49年

Mitoshi Uyehara がカリフォルニア州バーバンク、サンタクラリタに拠点を置き、出版社「Rainbow Publications」 を設立する

●日本で「燃えよドラゴン」によるブルース・リーの大ブームが始まり、香港への観光・貿易にまで波及し盛んになる。

 

● Mitoshi Uyehara氏、カリフォルニア州バーバンクに「Rainbow Publication」設立。


●ダニー・イノサント氏がジークンドーのコンセプトを継ぐ道場「フィリピノ・カリ・チャイニーズボクシングアカデミー」を設立。

 

1月 月刊「明星」3月号 悲劇の彗星ブルース・リー「燃えよドラゴン」大ヒット!

 

1月10日 アンジェラ・マオインと雷震が結婚。

 

1月16日 スポーツニッポン誌「ブルース・リー主演の燃えよドラゴンが正月映画興行のトップを走っている。千葉真一が今撮影中の激突殺人拳ではブルース・リー以上のアクションを披露すると禁酒までして頑張っている」

 

122日 鄭昌和監督作「黃飛鴻少林拳」(邦題:スカイホーク鷹拳)The Skyhawk 嘉禾有限公司 / 合同電影公司

關德興(クワン・タッヒン)、苗可秀(ノラ・ミャオ)、黃家達(カーター・ワン)、黃仁植(ファン・インシク)/、洪金寶(サモハン・キンポー)出演作 香港公開。

 

1月23日 春節

 

2月 週刊「平凡パンチ」2月4日号 「燃えよドラゴン」怪傑ブルース・リーの生涯と武道・武具を総点検。

 

2月 月刊「ゴング」4月号 プロレス・ボクシングなどあらゆる格闘技に通じる恐れべき破壊力!是が話題のブルース・リーのドラゴン殺法! 文:山崎照朝

 

2月 月刊「明星」4月号 ブルース・リーまんが履歴書。天に帰ったドラゴン、ブルース・リー

 

2月2日 千葉真一主演の「激突!殺人拳」が東映にて公開。

 

28 東宝東和配給のジミー・ウォング主演「片腕ドラゴン」日本公開。

 

2月9日 報知新聞「座談会 空手映画ブームを起こした男たち」「現実離れの面白さ、燃えよドラゴンが火付け役、追い打ちかけて2本」

 

3月 週刊「少年キング」3月11日号 日本列島空手旋風まかり通る!


3月9日 松竹配給のチャーリー・チャン主演の「怒れ!タイガー」日本公開。

 

316日 読売新聞夕刊“ブルース・リー死の真相『薬物による事故死』R・チョウ氏が語る”掲載。


3月21日 富士映画配給のブルース・リャン、倉田保昭主演の「帰って来たドラゴン」日本公開。

 

3月26日 読売新聞夕刊「ブルース・リー死の真相 薬物による事故死」「後継者はいない」

 

3月31日 スポーツニッポン紙「公開100日目迎えた燃えよドラゴンが上映最長記録へ突っ走る」「興業収入5億2千万」「90回も見た学生」


4月 風間健氏の「風間塾」が世田谷区代田に開設。この塾内に日本初のブルース・リーのファンクラブも発足。

4月 風間健氏の事務所に出入りしていたファンの学生らが中心となり「截拳道研究会」を立ち上げ稽古を始める。

 

4月 スクリーン・ジャンボ「ブルース・リー特集号」初版発行。

 

4月 月刊「平凡」6月号 平凡ロードショー「ドラゴン危機一発」

 

4月 月刊「明星」6月号 アグネス・チャンが18年間秘め続けたきたアルバムにブルース・リーの記事。

 

4月 週刊「明星」4月28日号 ブルース・リー突然の死のナゾ。

 

4月 週刊「プレイボーイ」4月30日号 怪情報渦巻く謎の死因、その決定的な真相はこれだ!幻のスター、ブルース・リー伝説を剥ぐ!

 

4月4日 羅維監督作「小英雄大鬧唐人街」香港公開。許冠傑(サミュエル・ホイ)
上官靈鳳(シャンカン・リンホー)、出村文男が出演。

 

413日 「ドラゴン危機一発」(原題: 唐山大兄、英題: The Big Boss)が公開。

日本題名「ドラゴン危機一発」は、『007 危機一発』(後に『007 ロシアより愛をこめて』に改題)をもじったもので、ストーリーとは全く関係ない。

「ドラゴン危機一髪」と表記するのは実は誤りである。

また、日本公開時は、配給元の東和が製作したオリジナル主題歌マイク・レメディオスの「鋼鉄の男」を編入したオリジナルのバージョンで公開された。

 

4月13日 松竹配給のチェン・シン主演「危うし!タイガー」日本公開。

4月13日 ワーナーブラザーズ配給の「嵐を呼ぶドラゴン」日本公開。

 

4月14日 報知新聞「燃える空手 日本映画界を走らす」「第二弾もまた大ヒット!お墓の中で笑うブルース・リー」

 

4月20日 ジミー・ウォング、ロー・リェ共演の「吼えろ!ドラゴン 起て!ジャガー」日本公開

 

4月21日 ブルース・リー講演会の総勢120名が銀座をパレード。

 

422日 報知新聞「ブルース・リー後援会の銀座哀悼パレード」「死因は毒殺?」

 

4月23日 スポーツニッポン紙「はつらつドラゴン ブルース・リー主演第一作〜危機一発」「若い魅力が爆発!」

 

428日 日曜スペシャル「ドラゴン大特集」放映。日本テレビ系。

 

5月 週刊「non・no」5月20日号 今は亡き龍、ブルース・リーの魅力。

 

5月 「女性自身」5月4日号 五味康祐の「死んでから稼ぎまくるブルース・リー」

 

5月 週刊「平凡パンチ」6月3日号 空手ブームの奥にひそむ中国拳法の極意・・・ここにあり。監修:松田隆智

 

5月 週刊「プレイボーイ」6月4日号 遺影ブルース・リー、未公開写真を一挙独占公開。

 

5月 月刊「中二時代」7月号 ドラゴン旋風吹き荒れる 文:映画評論家 菅沼正子

 

5月 「ジュニア洋画ファン」第4号1974年初夏号 特別企画「ドラゴン危機一発」

 

5月 月刊「セブンティーン」7月号 ドラゴンは雲にのって空に帰った。

 

5月12日 イギリスのロンドンに初期のファンクラブ「Bruce Lee Fan Club」が発足。

 

5月18日 ニューシネマコーポレーション配給のジュディ・リー主演「地獄から来た女ドラゴン」日本公開。

 

6月 月刊「ジュニア洋画ファン」8月号 決定版!ブルース・リー「ドラゴン怒りの鉄拳」スチール集。

 

6月1日 松竹配給のシャンカン・リン・ホー主演、倉田保昭共演「女ドラゴン!血闘の舘」日本公開。

 

6月8日 土曜映画劇場にて「燃えよ!カンフー」パイロット版が放映。

 

613日 アンジェラ・マオ、来日。「アンジェラ・マオの女活殺拳」PRのため、サモ・ハンキンポーとともに来日した。

 

6月 週刊「平凡パンチ」7月1日号 発気道4段、アンジェラ・マオの武術と密の生活を緊急直撃!

 

6月 週刊「プレイボーイ」7月9日号 チャーミングな女ブルース・リー、「女活殺拳」宣伝のために来日したアンジェラ・マオ。


6月12日 ベティ・ティンペイ出演の「春天的秋天」A chilled Spring 台湾公開。

 

614日 マリア・イー、実業家の徐静波と結婚。

 

6月21日 東映洋画配給、ヤン・シェン主演「必殺ドラゴン鉄の爪」日本公開。

 

6月29日 富士映画配給の「怒れるドラゴン不死身の四天王」日本公開。

6月29日 東宝東和配給の「アンジェラ・マオの女活殺拳」日本公開。ファン・インシク共演。

 

7月 増刊「プレイコミック」ギャンブル&アクション映画特集号 8月20日号に劇画「ドラゴン怒りの鉄拳」掲載。画:森義一氏

 

7月 月刊「セブンティーン」9月号 カラーグラビア掲載「あなたの心にいつまでも残るブルース・リー、ひとりぼっちの微笑」

 

71  写真集「決定版ブルース・リー」発売。ケイブンシャ刊

 

7月4日 スターリング・シリファントとティアナ Du Thi Thanh Nga がウエスト・ハリウッドで結婚。

 

7月6日 ユニバーサル映画/CIC配給の「ドラゴンを消せ!」フレッド・ウィリアムソン主演、風間健出演作が日本公開。

 

7月10日 大阪サンケイホールにて「ドラゴン怒りの鉄拳」特別試写会が開催。

 

7月15日 「ドラゴン怒りの鉄拳」TAMよりサウンドトラック LP/EP 盤が発売。

 

7月16日 ロードショー誌増刊号「不滅のブルース・リー特別号」集英社より発売。

 

7月18日  羅維監督作綽頭状元 NAUGHTY! NAUGHTY!」 嘉禾が当時の総力を結集した感のあるコメディー作品で、許冠傑の記念すべき初の単独主演作。その他に苗可秀、李昆、丁珮、茅瑛が出演。

 

7月19日 東京新橋ヤクルトホールにて東宝東和主催の追悼イベント「日本列島縦断ブルース・リーを偲ぶ集い」が開催。

7月19日 大阪厚生年金会館にて「ブルース・リーをしのぶ集い」開催。

7月19日 阪急プラザ劇場他全国の主要映画館にて「ブルース・リー前夜祭」開催。「ドラゴン怒りの鉄拳」「ブルース・リーよ永遠に」の二本立て上映。

7月19日 北海タイムズ「永遠の空手スター ブルース・リー主演グリーン・ホーネット放送」

 

720日 一周忌の命日に「ドラゴン怒りの鉄拳」(原題:精武門、英題:Fist of Fury)公開。

日本では日本人が悪役で登場して最後はリーに退治されるというストーリーから、当初は公開が危ぶまれたが、「燃えよドラゴン」「ドラゴン危機一発」と連続で大ヒット。20日に短編「ブルース・リーよ永遠に」特別上映。

 

7月20日 東和TAMより特報「ブルース・リー衝撃の15章」タブロイド紙が発行。

 

7月20日 毎日テレビにて午後2時から90分番組として「土曜ワイドスペシャル ブルース・リー伝説の生涯」放送。

 

7月20日 スポーツニッポン紙「一周忌をしのぶ集い、熱狂のファンで埋まる」「涙。涙の女の子 死に顔アップにヒー」

 

7月25日 東京新宿の京王百貨店にて「ブルース・リー展」開催。

 

7月26日 ハワイのホノルル国際センターアリーナにて「Bruce Lee Memorial Martial Arts Expo Hawaii」開催。

 

8月 Fighting Stars 8月号「Behind the Scenes of Bruce Lee's Way of the Dragon」

 

8月 月刊「ジュニア洋画ファン」10月号 ブルース・リーよ永遠に、彼が去って1年がたちました。 ブルース・リー追悼讃歌 文:深沢哲也 ブルース・リー作品集 文:ゆう敏彦

 

8月 「ヤングレディ」8月19日号 アメリカで話題!ブルース・リーの謎の私生活が暴かれた!

 

8月1日号 別冊少年チャンピオン「ブルース・リー物語」画:制野秀一 33ページ長編読み切り掲載。


8月2日 アンジェラ・マオインとジョージ・レイゼンビー主演、ベティ・ティンペイ主演「電撃ストーナー」香港公開、嘉禾有限公司。

8月2日 ベティ・ティンペイ主演の成人映画「販賣人口」The Virgin Hart 香港公開。

 

8月7日 シャンカン・リン・ホー主演「残酷ドラゴン血斗竜門の宿」日本再公開。

 

8月8日 雑誌「GORO」8月22日号 未亡人が初めて明かしたブルース・リーの死の真相。

 

8月10日 ロードショー誌増刊号「ブルース・リーの伝説」集英社より発売

 

8月16日 羅維監督作「黃面老虎」香港公開。王道(ドン・ウォン・タオ)
張艾嘉(シルヴィア・チャン)、チャック・ノリスが出演。

 

8月17日 スポーツニッポン紙「われこそ和製ブルース・リー」読売テレビ「そっくりショー」にブルース・リーの一周忌を記念してブルース・リーの巻を放送する。


8月23日 ベティ・ティンペイ主演の「香港屋箸下」The Looks of Hong kong 香港公開、馬氏影業公司。


8月31日 東映映画、志穂美悦子主演の「女必殺拳」が公開。

 

9月「死亡遊戯」と「ドラゴンへの道」の助監督をつとめた植耀昌を筆頭にして、サモ・ハン、ラム・チェンイン等が集まってプロジェクトチームが結成され、遂に『死亡遊戯』の製作がスタートした。

またこのチームには初代香港のスピルバーグ呉思遠も参加、植耀昌と共に指揮をとった。

それから同年10月にブルース・リーの代役を決めるためのオーディションが各地で開催された。様々な国から集まった候補者の中から栄えあるリー役に選ばれたのは、韓国人の金泰中ことタン・ロンであった。

 

9月 「ミュージックガイド」10月号 ドラゴン・エクソシストは各社主題歌レコードも売れている座談会記事掲載。

 

911日 スポーツニッポン紙上に「『ドラゴンへの道』を巡る東和と東映の争奪戦勃発」記事掲載。

 

9月15日 スクリーン誌9月号臨時増刊「決定版ブルース・リー アルバム」近代映画社より発行。

 

927 『ドラゴン怒りの鉄拳』公開記念“ブルース・リーのふるさとを訪ねて”デラックス香港・マカオ4日の旅が東和株式会社日本航空の協賛により日本交通公社(JTB)が主催〜09/30

ブルース・リーの自宅や嘉禾電影スタジオやマカオなどを観光するプランで、費用は99,000円

 

928日 黃楓監督作「中泰拳壇生死戰」(邦題:ザ・トーナメント

アンジェラ・マオ ザ・トーナメント)香港公開。 茅瑛(アンジェラ・マオ)、黃家達(カーター・ワン)、黃仁植(ファン・インシク)、衣依(マリア・イー)出演。

 

10月 月刊「ジュニア洋画ファン」12月号 栄光の大スター、ブルース・リー。もしも彼がこのスターと対決したら・・・文:山根祥敬

 

101  ケイブンシャよりYoung Idol Now臨時増刊号『空手スター ドラゴン大特集』初版発行 16人のドラゴン必殺拳”ほか。

 

10月15日 スクリーン・ジャンボ「ブルース・リー特集号 新装アンコール版」初版発行。


10月18日 ゴールデン洋画劇場にて「探偵マーロー・かわいい女」が初放映。

 

10月30日 スクリーン誌増刊「実伝ブルース・リー 不滅のドラゴンその全生涯」近代映画社より初版発行。

 

111  ベティ・ティンペイ、来日。同日日本公開の映画「電撃ストーナー」PRのため。銀座の東友クラブで記者会見を行う。

 

112  映画「電撃ストーナー」「ありし日のブルース・リー」(香港題:李小龍與丁珮珍貴記録片)東映により日本公開。

11月2日 スポーツニッポン紙「彼との仲の集中質問にムッ」故ブルース・リーの恋人ティンペイ映画PRに来日。

 

11月 週刊「平凡パンチ」11月25日号 私のベッドで危篤・・・ブルース・リーはこうして息をひきとった。

 

11月10日 ロードショー11月号増刊「ロードショーJOY 特大版読んでそれからピンナップ」初版発行。

 

12月1日 ヤング・アイドル・ナウ別冊号「ブルース・リー武術大特集/截拳道」ケイブンシャ発行。

 

12月5日 ヤング・アイドル・ナウ臨時増刊号「最後のブルース・リー/ドラゴンへの道」ケイブンシャ発行。

 

12月6日 胡金銓監督「迎春閣之風波」香港公開。李麗華(リー・リーホァ)、徐楓(シュー・フォン)、茅瑛(アンジェラ・マオ)、田豐(ティエン・ファン)、韓英傑(ハン・インチェ)共演作。

 

127  映画「空手ヘラクレス」日本公開。「燃えよドラゴン」のヤン・スエが出演。

 

12月14日 スティーブ・マックイーン主演、スターリング・シリファント脚本の「タワーリング・インフェルノ」が全米公開。

 

12月25日 シネアルバム26  「ブルース・リー永遠のドラゴン」芳賀書店より初版発行。

 

●ロバート・リー カリフォルニア州立大学を卒業。