Timeline 70s-3


1975

民國64年、昭和50年

●ゴールデン・ハーベストのトップ監督であったロー・ウェイがレイモンド・チョウと対立後に独立し、台湾を拠点とした映画会社『羅維影業公司』を設立。

 

●菊池武夫がメンズウェア「MEN’S BIGI」を設立し、社長に就任。

 

●クンフー・マンスリー・シリーズが創刊。

 

110  ヤングアイドルナウ臨時増刊号 未発表写真集「帰らざる英雄ブルース・リー」発行。ケイブンシャより。

 

113日『ドラゴンへの道』PRのためノラ・ミャオ来日

 

114日『ドラゴンへの道』公開記念ファンのつどい(全国縦断試写会㈰)東京読売ホールにて開催 ノラ・ミャオもゲスト出演する「ドラゴンへの道」公開記念イベント、東京・読売ホールで開催。ゲストはノラ・ミャオ。

 

1月15日 スクリーン誌「ブルース・リーオールグラフ'74'冬の号」発行。

1月15日 リンダ・リーがロバート・ベイカー夫妻宛に手紙を投函。

1月15日 報知新聞「ヌンチャク演技に熱い目 ドラゴンへの道記念集会盛況」

1月15日 スポーツニッポン紙「思い出のドラゴンへの道」リーの相手役女優ミアオがPRに。

 

117日「ドラゴンへの道」全国縦断試写会㈪大阪サンケイホールにて開催 800名が招待される。

 

118日「ドラゴンへの道」全国縦断試写会㈫福岡明治生命ホールにて開催 400名が招待される。

1月18日 東宝東和配給の「ドラゴン武芸帳」日本公開。

 

120日「ドラゴンへの道」全国縦断試写会㈬名古屋愛知中小企業センターにて開催 800名が招待される。名古屋国際ホテルで取材を受ける。

1月20日 スポーツニッポン紙「ブルース・リーの魅力のすべて」「芸術的なアクション、ダブルヌンチャクの妙技」

 

122日「ドラゴンへの道」全国縦断試写会㈭札幌道新ホールにて開催 500名が招待される

 

125日 映画「最後のブルース・リー ドラゴンへの道」(原題:猛龍過江、英題:The Way of the Dragon)東映により日本初公開。

集英社より別冊ロードショー「決定版!最後のブルース・リー特集号」発行。

1月25日 報知新聞「リー最後の活躍、一人6役演出も合格」

 

1月27日 報知新聞「ドラゴンへの道が大ヒット」

 

●小谷充・渡辺岳夫・松山祐士がペンネーム「ビル・パウエル」として「ドラゴンへの道」の挿入歌「ビックガイ」を作曲。

●劇場公開前は映画の配給を予定していた東宝東和が「ドラゴン電光石火」と言うタイトルで雑誌で宣伝していた。

EP盤のレコードまで発売していたが、突然ゴールデン・ハーベスト社が裏切り、東和配給予定が東映に移ったため「ドラゴンへの道」と改題。

この時東映は、東和を差し置いて「ドラゴンへの道」の配給権を得る上で当時の東映のトップポルノ女優であった池玲子を期限付きで貸し出す契約をゴールデン・ハーベスト社と結んでいた。

 

●風間健氏、株式会社コンコルド・ジャパンを渋谷区神宮前に設立。米国オハラ・パブリケーション社と業務提携。

 

2月 月刊少年チャンピオン3月1日号に「ドラゴンへの道」50ページに及ぶ劇画が掲載。

 

2月 リンダ夫人による英国ロンドンでの著書「Bruce Lee,The Man Only I Knew」のキャンペーンを行う。

 

2月 集英社ロードショー誌の4月号にノラ・ミャオ表紙号発売。

 

216日 NAOプロ運営で六本木に倉田保昭ファンクラブが開設。

 

2月17日 スポーツニッポン紙「しにせ東和を出し抜いた東映」「隠密裏に契約」「知恵と腕比べだ」


3月7日 サンケイスポーツ紙にブルース・リーの格闘センスに感銘を受けたモハメド・アリが「自分に挑戦する東洋人はいないのか?」と記事が掲載。

 

3月8日 ベティ・ティンペイ主演「老夫子」Old Master Q 香港公開、香港金山影業公司。

 

310日 別冊ロードショー「ブルース・リー特集」発売。集英社。

 

3月13日 雑誌「GORO」3月27日号 GOROロードショー新着映画アルバム集「ドラゴン拳法」「グリーン・ホーネット」

 

315日 宇森監督「女子跆拳群英會」(邦題:龍を征する者(ジョン・ウーの龍を征する者) 香港公開。 田俊(ジェームス・ティエン)、黃家達(カーター・ワン)、池漢載 出演作。

315日 坂口拓(別名 敏郎 TAK)石川県に誕生。類い稀なるリアル・アクション俳優でありゼロレンジコンバット所属の現代忍者として活動中。

 

 

3月20日 ローリェとベティ・ティンペイ共演の香港映画「斬草除根」A Debt of Crime 香港公開、陳氏影業公司。

 

321 映画「グリーン・ホーネット」(原題:Green Hornet 監督ノーマン・フォスター)東宝東和により日本公開。 TVシリーズ3話を劇場用に編集した内容の作品。 同時上映「ブルース・リーのドラゴン拳法」

 

3月26日 ロバート・クローズによるリンダ夫人の著書「Bruce Lee,The Man Only I Knew」について映画化のための脚本「ブルース・リーの伝説(仮)Bruce Lee His Life and Legend」が完成。

 

45日 デラックス・シネアルバム「闘魂ブルース・リー」発売(芳賀書店)

 

41415日、バーバンクのワーナースタジオでリンダ・リー著「悲劇の死ブルース・リー/The Man Only I Knew」を原作とした映画「ブルース・リーの伝説(仮)Bruce Lee His Life and Legend」のオーディションが行われる。

ワーナーとファーストアーチスト共同で製作される予定だった。

監督にはロバート・クローズを迎えるも、制作者のジョン・ピータースが途中、製作から降りてしまい断念せざるおえなくなった。

主演候補にサミーウエニシ「上西洋一」23歳が最終候補者にリストアップ。結果はフィリピンのペテ・アイレス、韓国人俳優、ニューヨーク出身の中国人ウィリアム・ルイとなる。

 

415日 GHと東和が東禾公司という合弁会社を設立。

 

4月15日 スクリーン誌 「ジャンボ春の号ブルース・リー最新デラックス版」発行。

 

4月17日 ノラ・ミャオ出演「醒目雙星香港淘金記」Money Is Everything / 香港淘金記 深美製片有限公司。監督 孫仲 主演 何守信。

 

4月20日号 平凡パンチ4/20臨時増刊号に劇画「さらばブルース・リー死亡遊戯」画:牧真介

 

4月26日 米国ABCテレビにてワーナー・ブラザース製作の「燃えよカンフー」(原題 Kung-Fu)のシーズン3の最終話が放映。 原案はブルース・リーだが脚本はハーマン・ミラー氏。主演のKwai Chang Caineの役はDavid Carradine氏。これ以降、このシリーズは打ち切りとなる。

 

430日 香港にて「ブルース・リーの伝説(仮)Bruce Lee His Life and Legend」のオーディションが行われる。

 

5月13日 マリア・イーが男児を出産。

 

6月 Fighting Stars 6月号「The Day Bruce Lee Killed Me!」

 

6月 月刊「映画ファン」8月号 特集記事ブルース・リーはマフィアに消された!

 

6月5日 ベティ・ティンペイ主演「横衝直撞小福星」The Wandering Life 香港公開、光明影業公司。


6月9日 モハメド・アリがマレーシアでの試合の途中、羽田空港でのトランジットのため立ち寄る。その際の記者会見場で新日本プロレスの海外担当者が猪木からの挑戦状を手渡す。これ以降、水面下で両陣営の調整が始まる。

 

611日 ノラ・ミャオ、香港で「ロードショー」誌の取材を受ける。

 

6月12日 鄭昌和監督作「艷窟神探」香港公開。茅瑛(アンジェラ・マオ)、黃仁植(ファン・インシク)出演作。

 

629日 リンダ夫人、ベティ・ティンペイ、レイモンド・チョウ、マダム・ローウェイと連名で”The Dragon Dies Hard”の制作、配給に関してアライド・アーチスツ、ホールマーク・プロ、エスクアイア・プロ、ウィンスロップ・アミューズメントに対して300万ドルのプライバシー侵害の訴訟をLA最高裁に提出。

 

7月10日 ヤング・アイドル・ナウ臨時増刊号「決定版ブルース・リー三回忌追悼特大号」発行。

 

7月15日 スクリーン誌 「ブルース・リー カラースペシャル 7月臨時増刊号」発行。

 

8月  Black Belt Magazine編集長のディック・ヘネシーの元に、あるコネを通じてカナダ在住のアレックス・クアン氏が紹介され、武術とルックスに感心したディックはロバート・クローズ監督に紹介する。

 

88 集英社別冊ロードショー「ブルース・リーとノラ・ミャオ特集号」発売。

 

829日 ロバート・リー29日放送のマイク・ダグラス・ショーに出演し「ブルース・リーに捧げるバラード」を熱唱。

 

9月 Inside Kung Fu 9月号「Who is Shek Kin?」

 

92日 リンダ夫人が単独で同4社に1300万ドルの新訴訟を提出。

 

9月  ロバート・リーへの単独インタビューの中で、ブルースの拳銃所持の話題が語られる。ほんの一部のようだがスミス&ウェッスン38口径やコルト44口径などの短銃が披露された。

 

926日 ロバート・クローズはアレックス・クワンと「ブルース・リーの伝説」を制作予定と報道。

 

105日 ロングビーチで開催された世界空手選手権大会会場にて、ブルース・リーの伝説の主役がアレックス・クワンに決定とアナウンスされる。


10月29日 ベティ・ティンペイ主演の成人映画「二世祖」The Playboy 香港公開。富國影業公司。

 

11月 「我こそはブルース・リー」高田馬場のBig-Boxにて開催。 おすぎとピーコが司会。

 

11月25日 実弟ロバート・リーが来日。CBSソニーから「ブルース・リーに捧げるバラード」キャンペーンのため。

 

11月30日 雑誌「GORO」12月11日号 独占公開! ブルース・リーの私生活未公開写真集

 

●この頃ロバートクローズは後日アレックス・クワンと契約するも資金難で頓挫した。


1976

民國65年、昭和51年

●丁珮 香港電影出品人向華強と結婚,やがて一女(Candy Heung)を産む。

 

●黃霑と李忠琛の妻である林燕妮が内縁関係になる。 李忠琛とは離婚

 

●「The Secret Art of Bruce Lee」Kung-Fu Manthly社発行。

 

 

1月9日 レイモンド・チョウ氏から東宝東和に「シナリオが完成、三月には香港で撮影再開」との連絡が入る。

 

1月 雑誌「GORO」2月12日号 独占公開!知られざるブルース・リーの素顔 実弟ロバート・リーと風間健 独占インタビュー。

 

2月5日 「デイリースポーツ」紙 「死亡遊戯」が命日に封切り、吹きまくるリー旋風。

 

220日 黃楓監督作「密宗聖手」(邦題:アンジェラ・マオ レディ・クンフー 密宗聖拳)香港公開。

 

3月 株式会社コンコルド・ジャパンより月刊誌「the Best of ST☆RS No.1」創刊。


3月 別冊ゴング4月号 モハメッド・アリのインタビューを掲載「俺が一番戦いたいのは猪木ではなくブルース・リーだ。ブルース・リーが挑戦してくれれば良いと思っていた。しかしあれは映画の中だけの主人公だ」

 

3月1日 スクリーン誌「ジャンボ'76'春の号」 発行。

 

3月12日 発行「香港電視」2ページ掲載記事「森森、李振輝初次携手演新戲」

 

320  ブルース・リー ツアー(香港・台湾映画研修旅行)開催 団長は日野康一氏(〜03/23

3 月20日 浅草ロキシー他「ドラゴンへの道」「燃えよドラゴン」の二本立て公開。

 

329日  TVシリーズ『燃えよ!カンフー』毎週月・火・水のサイクルで日本でのテレビ放映開始(〜08/17

 

4月 株式会社コンコルド・ジャパンより月刊誌「the Best of ST☆RS No.2」創刊。

 

4月16日 発行「香港電視」2ページ掲載記事「李振輝不要電腦要電視」


5月14日 ノラ・ミャオ主演「霊魔」The Obsessed 韓国で公開。制作は星海影業公司 韓国版タイトルはYeongno  監督 麥鵬展、李星究 制作 曲興華、金泰洙

 

5月29日 東宝東和配給のジョージ・レーゼンビー主演の「スカイ・ハイ」日本公開。

 

6月15日、半年もの沈黙を続けていたハーベストが再び動き出した。香港の夕刊紙が一斉に『死亡遊戯』製作再開のニュースを報道。

更にその後のニュースでも「共演者にボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリやサッカーの神様ペレ等の名前が挙がっていた。

更にレイモンド・チョウがスティーブ・マックィーンやジェームス・コバーンなどのビッグスターと交渉するため、近々渡米する予定である」と報道。

 

6月16日  モハメッドアリが羽田空港に。ジューン・リーもアリのセコンドとして帯同。

 

6月19日  アメリカのシナリオライターであるエドワード・アンハルト氏が死亡遊戯の脚本執筆の為、来港。(エドワード・バヴィッシュとの記述も有り)

 

6月21日  レイモンド氏が日本に滞在中のモハメッド・アリと出演交渉の為、渡港。

 

6月22日  9月に モハメッド・アリが香港を訪れると報道。

 

6月26日  日本武道館でアントニオ猪木とモハメッドアリの異種格闘技戦。殺気立つ試合は15ラウンドでドローの判定。後の総合格闘技の原点となる記念すべき試合となる。

 

7月  モハメッドアリがジューン・リーの招きで韓国訪問。

 

78日 ノラ・ミャオとジャッキー・チェン共演の『新・精武門』香港公開。

 

716日 別冊ロードショー「不滅のブルース・リー」発売。集英社

7月16日 発行「香港電視」1ページ掲載記事「翻版李小龍」

 

7月20日頃、ロバート・リーが映画「ビーグ・シークレット」のキャンペーンで初来日。

 

7月24日 彭長貴監督作「北地虎」香港公開。衣依(マリア・イー)、卜千軍、洪金寶(サモハン・キンポー) 出演作。

 

7月26日 「帰ってきたブルース・リー フェスティバル」が有楽町の読売ホールにて開催。

来日中のロバート・リーが登壇、「兄ブルース・リーに捧げるバラード」を熱唱。映画「生と死」の予告編や「ドラゴン拳法」の上映。主催は風間健氏のブルース・リー ファンクラブ。

7月 週刊「プレイボーイ」8月10日号 独占インタビュー:来日中の実弟ロバート・リーが追慕の情をこめて激しく語った! 僕はついにブルース・リーの黒い死因をつきとめた。「ビック・シークレット」の脚本中で9月にクランクインで今年中に完成。

 

830 祥伝社「鏡で占う顔相術」発売。著者・鄭三豊がブルース・リーの人相にも触れる(生前に会ったとの記述あり)

 

9月 英国のファンクラブでありKung Fu Monthlyを母体としたBruce  Lee Societyが活動を開始。

 

94  『実録ブルース・リーの死』松竹富士映画により日本公開 丁珮、李修賢、羅馬監督

 

10月28日 黄宗迅(ウォン・チュンスン)が台湾で交通事故にて死去。享年56歳。

 

11月23日 風間健主演の松竹配給の「少林寺拳法ムサシ香港に現わる」格闘着デザインは山本寛斎。 同時上映はジミー・ウォング主演の「片腕カンフー対空飛ぶギロチン」 日本公開。

 

● 遺された技術写真等が「ブルース・リーズ・ファイティング・メソッド14」としてまとめられ出版される。

 

● Black Belt Year Book 表紙号


1977

民國66年、昭和52年

●東亜興行(東亜輸出公司)李于錫(イ・ウソク)社長の勧めで無名俳優の金泰靖(キム・テジョン)が香港に渡って行き途方もない競争率を突破し“唐龍”という芸名で李小龍の代役を獲得した。


●荒木之博氏が初渡米。ダニー・イノサント師父に師事。

 

1 月7日 チャーリー・チャン主演、ノラ・ミャオ助演「鐵拳小子」The Kung Fu Kid 香港公開。

 

3月 Inside KUNG-FU 3月号 特集記事「Jeet Kune Do The Art of Philosophy of Bruce Lee」


3月5日 ティ・ロン主演、ノラ・ミャオ助演、ショーブラザーズ製作「香留楚」Clans of Intrigue 香港公開。

 

3月8日 報知新聞「本物VSニセ者 幻の遺作”死亡遊戯”に新作が登場」

 

3月26日 ベティ・ティンペイとチャールズ・ヒョン夫妻とチェン・チェンが出演して台湾映画「秋詩篇篇」Autumn Leaves 台湾公開。

 

4月 ドイツ製レア写真集「BRUCE LEE DAS GOLDEN BUCH」Karate Journal社より発売。

 

46日『水曜ロードショー/出た!!ブルース・リーのドラゴンへの道』TV初放映。日本テレビ系水曜ロードショーにて。リーの吹き替えは柴俊夫。*ブルース・リー映画TVに初登場。

 

4月8日 発行「香港電視」1ページ掲載記事「李振輝、吳耀漢點只拍戲咁簡單」

 

521日 TBSGメン75105話 特別番組 香港-マカオロケシリーズ「香港-マカオ 警官ギャング」放送

 

528日 TBSGメン75106話 特別番組 香港-マカオロケシリーズ「女刑事殺人第一課」放送

 

● Fighting Stars Summer号「Bruce Lee Most Famous Weapons Fight」

 

8月  遂にクローズ監督版のシナリオが完成、

 

7月 東宝東和主催で四周忌のイベントが久保講堂にて開催。


7月23日 ノラ・ミャオとトニー・リューイン主演「絶不低頭」To Kill a Jaguar 香港公開。ショーブラザーズ製作。

 

831日 「死亡遊戯」撮影のため金泰靖(キム・テジョン)が香港入り

 

96日 「死亡遊戯」撮影開始。

ハリウッドからオスカー受賞経験のあるディーン・ジャガー、ギグ・ヤング(映画完成直後に短銃自殺してしまう)、ヒュー・オブライエン等が呼ばれ、リーの恋人役には新人のコリーン・キャンプが扮した。

また新たな敵役としてボブ・ウォールの参加も決定した。日本から荒木之博氏もスタントとして参加。

 

●サモ・ハンキンポーが「ブルース・リー死亡遊戯」のために撮ったレッドペッパー・タワーの1階における唐龍VS黄仁植戦、温室の決闘を撮影。

 

910新死亡遊戯 7人のカンフー」松竹富士映画により日本公開

 

1015日 TBSGメン75126話 特別番組 香港マカオシリーズ第二弾前編「南シナ海の殺し屋」放送 (出演)白彪、揚斯、陳羅抜

 

1022日 TBSGメン75127話 特別番組 香港マカオシリーズ第二弾後編「マカオの殺し屋」放送 (出演)白彪、揚斯、陳羅抜

 

11月16日 解元 Chieh Yu Kun, Chieh Yuan 香港にて死去。享年32歳。

 

12月 ロバート・リーとシルビア・ライSylvia Lai, aka Sam-Sam (1951.06.23 - ) が結婚.


12月 ノラ・ミャオがプライベートで来日。


12月1日 パール・チャンリン主演、ノラ・ミャオ助演「風雲人物」Men of the Hour 台湾公開。

 

12月3日 鄭昌和監督作「破戒」香港公開。アンジェラ・マオのGH社作品最後の出演作。


1978

民國67年、昭和53年

1月  ノラ・ミャオがプライベートで来日。 この頃、香港のメディアの中で日本人の恋人の存在が噂された。

 

1月6日 ラリー・リー主演、ノラ・ミャオ助演の香港映画「過江龍濁馬虎穴」香港公開。香港龍國影業公司

 

1月 監督である呉思遠による東京での「死亡塔」の撮影が始まる。東京都世田谷区奥沢七丁目にある浄土宗の寺「浄真寺」、東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗の寺院「増上寺」、羽田空港など。車窓からの風景は銀座。新宿歌舞伎町界隈でのロケには当時公開中の「ドクターモローの島」などの映画のポスターも映る。

そしてチン・クーの庭園は大森海岸にあった「福久良」。

この撮影は当時の日本の映画関係者やブルース・リーのファンですら知られていない状況でした。

 

以降、韓国の釜山での撮影開始。死亡塔は釜山の北に位置する梵魚寺(ポモサ)。死の宮殿は古都・慶州(ギョンジュ)にある世界遺産・仏国寺(プルグッサ)

 

2月23日 ロバート・クローズ監督作「アムステルダム・キル」香港公開。ロバート・ミッチャム主演のGH社とアメリカ合作作品。

 

3月 週刊「平凡パンチ」3月27日号「オレたちの熱望にこたえてブルース・リーが急逝して4年・・・帰ってきた「死亡遊戯」文:平岡正明

 

3月8日 ノラ・ミャオが出演、ジャッキー・チェン主演の「蛇鶴八拳」が香港公開。

 

39日 映画「死亡遊戯」“ワールド・プレス・プレビュー”香港にて開催 東宝東和にて10名を招待

 

3月14日 デイリースポーツ紙「天国のリーに届け!ファン待望4年がかりで死亡遊戯が完成」

サンケイスポーツ紙「ナゾの死から5年・・・ブルース・リー帰る」

サンケイ新聞「甦るブルース・リー」

日刊スポーツ紙「生き返ったブルース・リー、5年がかりやっと完成、死亡遊戯」

報知新聞「怪鳥音よみがえる」香港で特別試写会、代役、自然な導入部「七重塔は5階ビルに変更」「旧宅なんとラブホテルに」

スポーツニッポン紙「生きていた!?ブルース・リー 遺作の死亡遊戯が香港で試写会」

 

3月15日 夕刊フジ「そっくりさんーバトンタッチで完成、商魂たくまし日本を口火に夢よもう一度」

 

3月17日 発行「香港電視」2ページ掲載記事「李小龍的「死亡遊戲」 THE GAME OF DEATH 」

 

3月18日 読売新聞「ブルース・リーよみがえる 遺作死亡遊戯が完成」

 

323日 「死亡遊戯」香港公開(〜04/05)同年度興行収益第7位。

 

4月 週刊「少年チャンピオン」4月15日増刊 本紙独占:劇画ロードショー「ブルース・リー死亡遊戯」

 

4月 月刊「映画ファン」6月号 カラーグラフ、甦るブルース・リー「死亡遊戯」

 

4月1日 キネマ旬報4月上旬春の特別号「死亡遊戯」特別号発行。


4 月9日 日比谷映画にて「死亡遊戯」の試写会が開催。

 

415日 「死亡遊戯」(英題:Game of Death)日本公開。

ブルース・リーが1972年秋にクライマックスのアクション・シーンのみを撮影後中断、急逝により未完となり、5年の紆余曲折の後「燃えよドラゴン」の監督ロバート・クローズを起用し、ハリウッドのキャストで脇を固め、代役を使って追加撮影して完成させた作品。

日本側独自で編集した日本公開版がある。クリス・ケントの怪鳥音を、ブルース・リーが出演した作品の怪鳥音を寄せ集めたものと入れ替えた。

「死亡遊戯」という作品については、1972年にブルース・リー本人が監督したものを指す場合と、1978年に完成したものを指す場合の2通りがあった。

この2つは、クライマックスのシーン11分ほどが共通する以外はストーリーも共演者も全く異なる作品といってよい。

2000年頃ブルース・リー本人の原案ノートが公開され、企画段階では『死亡的遊戯』であることが知られるようになったため、「死亡遊戯」とは、もっぱら1978年完成版を指すようになっている。本人による撮影フィルムはおよそ100分程度であったと推定され、そのうち90分以上が現存している。O.K.テイクのみで35-40分程度になる。

内容は原案の設定となる五重塔内シーンがほぼすべてで、そのほかは数カットの野外シーンがあるのみであった。本人による塔内クライマックスシーンは、ブルース・リーとともにジェームズ・ティエン(田俊)とチェ・ユアン(解元)の3人の共演で撮影されたものであった。

しかしこの2名が5年後の制作再開時に参加不可能となっていたため、同じ展開をブルース・リー単独で行ったかのように編集処理されて使われました。

またそのため一本の作品としては、致命的にフィルムが不足しているにもかかわらず、オリジナルフィルムのO.K.テイクの2/3以上がカットされる結果となりました。


4月20日 報知新聞「香港映画から招きブルース・リーを演じてほしい」日大生の荒木君。体格好まるでそっくり。小麒麟が企画中の「リトルドラゴンとリトルユニコーン」でブルース・リーの役を演じてほしいとオファー。

 

4月 週刊「少年マガジン」4月23日号 甦ったブルース・リー、死亡遊戯ついに完成。

 

5月5日 スクリーン誌特別増刊「死亡遊戯ワイド特集号」発行。

 

5月 週刊「少年キング」5月8日号 5年ぶりに甦ったブルース・リー死亡遊戯。

 

5月 週刊「明星」5月7日号 不滅のドラゴン、ブルース・リー復活の日。死後4年幻の遺作「死亡遊戯」ついに完成。

 

5月 週刊「少年サンデー」5月7日号 ブルース・リーと香港拳法。「男組」原作者の雁屋哲、特別寄稿「死亡遊戯」香港試写会レポート

 

5月 週刊「平凡パンチ」5月28日号 燃えよドラゴンへの道。香港カンフー映画に出演する和製ブルース・リー。

 

6月 月刊「映画ファン」8月号 カラーグラフ、ブルース・リーのフィルモグラフィー。


6月8日 ベティ・ティンペイやサモ・ハンキンポーらが出演した「出鐘」My Darling Gals 香港公開。

 

7月21日 ジャッキー・チェン主演「ドランクモンキー 酔拳」日本公開。

 

8月5日 「燃えよドラゴン」がリバイバル公開。スターリング・シリファント脚本のワーナー・ブラザース作品「スウォーム」The Swarm と同時上映。


8月24日 ベティ・ティンペイとチャールズ・ヒョン夫妻が香港武術映画のMysterious Footworks of Kung Fu に出演。香港公開。永勝影業有限公司

 

8月25日 ベティ・ティンペイがショーブラザーズの成人映画「子曰 食色性也」Sensual Pleasuresに出演。香港公開。

 

930日 TBSGメン75175話 78香港-マカオロケシリーズ1「香港カラテ対Gメン」(出演)楊斯


10月1日 ノラ・ミャオ助演の「決門者的生命」My Blade, My Life 台湾公開。萬國(香港)電影有限公司

 

107日 TBSGメン75176話 78香港-マカオロケシリーズ2「香港カラテ対GメンPART2」(出演)楊斯

 

1019 ギグ・ヤング、ニューヨークの自宅で妻を殺害し自殺と報道。「死亡遊戯」追加撮影分に出演。享年64歳。

 

11月 雑誌「GALLANTMEN」1月号発売。 ブルース・リーその死後7年目にしてはじめて明かす謀殺説の根拠。文:風間健 これを書いたら俺も殺られるかもしれない、スーパースターと親交のあったただ一人の日本人。


1979

民國68年、昭和54年

●「Bruce Lee Scrapbook」発売。Kung-Fu Manthly社発行。

 

1月 雑誌「JACKER」The Telex from the world誌2月号 ブルース・リーよ、永遠なれ。新春熱烈アンコールPhotos 「燃えよドラゴン」

 

23  「ブルース・リー電光石火」(原題:Fury of the Dragon 監督ウィリアム・ボーダイン)東宝東和により日本公開。

 

2月3日 許冠文監督作「半斤八兩」(邦題:Mr.Boo!ミスター・ブー)日本公開。東宝東和配給。

 

224日「ブルース・リーを探せ!」日本ヘラルド映画により日本公開。同時上映は「ゾンビ」

 

47日 TBSGメン75201話 79香港ロケ・カラテシリーズ前編「Gメン対香港カラテ軍団」(出演)楊斯

 

414日 TBSGメン75202話 79香港ロケ・カラテシリーズ後編「Gメン対香港カラテ軍団PART2」(出演)楊斯

 

4月10日  ヤングアイドルナウ別冊号「永久完全保存版ブルース・リー」発売。

 

4月21日 ノラ・ミャオが出演したジャッキー・チェン主演の「龍拳」香港公開。

 

519  英国ロンドンにて Britains First Bruce Lee Convention”がUniversity of London Union Buildingにて開催。


5月26日 「Mr.Boo !インベーダー作戦」日本公開。東宝東和配給。

 

6月1日 レコード「My Way of Kung - Fu」Tamより発売。

●東宝TAMレコードより「My Way of Kung Fu」発売 死亡遊戯のワールド・プレス・プレミア時に記者たちに配布されたテープから音源を取ってレコード化。LP盤とEP盤同時発売。

ETD公開時に採用されなかった「燃えよドラゴン」の高僧アボットとの会話のシーンからの抜粋とGH社で記者に対して、新しい映画の企画案を話している録音音声。(「武道」というタイトルで、「ブルース・リーの生と死」でその一部を聞くことができます。)

 

69  『死亡遊戯』ようやくアメリカでプレミア上映。

 

●ブランドン・リー、反抗期を迎え周囲を人間を困らせ始める。

TorranceにあるMontgomery High Schoolに短期間通う。1979~1980まで。

 

●ロードショー誌8月号付録にソノシートが話題に。ブルース・リー自身が語った「私の武道哲学」


7月9日 香港テレビにて白虎主演の「天龍訣」Dragon Strikes にノラ・ミャオが助演。

 

9月 Inside KUNG-FU 3月号 特集記事「 Bruce Lee's Game of Death」

 

9月5日 スクリーン誌9月号特別増刊「ブルース・リー最新特集号」発行。


9月6日 チャーリー・チャン主演のThe Handcuffにノラ・ミャオが助演。香港公開

 

922日 英国ロンドンにて”Worldwide Convention & Jamboree”がWestminster Contral hallにて開催。

 

10月 Fighting Stars 10月号「Special Bruce lee Issue」

 

●10月 jenaイエナが香港のJKD李小龍Clubの日本総輸入代理店となる。

 

●10月 Joseph Hyams 「Zen in the Martial Arts」出版。

 

106日 TBSGメン75227話 79香港ロケ・カラテシリーズ前編「Gメン対香港の人食い虎」(出演)揚斯、韓英傑、蕭錦、ジョニー大倉

 

1013日 TBSGメン75228話 79香港ロケ・カラテシリーズ前編「Gメン対香港の人食い虎PART2」(出演)揚斯、韓英傑、蕭錦、ジョニー大倉

 

1114もしくは15日 ジャッキーチェンが極秘に初来日。ロー・ウェイカンパニーでの監督・主演作「醒拳」(86年日本公開作とは別物)の撮影再開の日で、当時の噂通り失踪だったようです。

 

12月1日 ジャッキー・チェン主演「スネーキーモンキー 蛇拳」 蛇形刁手 日本公開。

 

121日 英国ロンドンにて Kung Fu Monthly & The Bruce Lee Society present The First Ever Bruce Lee Film Festival”が開催。会場はGaumont State Theater, Kilbum High Road, London

 

12月 Fighting Stars 12月号「ED Parker Riding the Tidal Wave of Martial Arts Films」

 

12月 許冠文監督作「鬼馬雙星」(邦題:Mr.Boo! ギャンブル大将)日本公開。東宝東和。

丁珮(ベティ・ティン・ペイ)が脇役で出演。1974年製作。